5.27.2013

ウルグアイ的若者のグダグダが垣間みれる映画 –25 watts

ウルグアイ発の有名映画と言えば?とウルグアイ人に聞いて名前が挙がる映画の一つが「25 watts」(ヴェインテシンコ ヴァッツ(25ワット)) 。2001年の映画です。


どこの国でも「若者」と言うものは、時間と元気を持て余してグダグダしているものかも知れませんが、ウルグアイのそんな典型的な若者が垣間みれるのがこの映画です。


 舞台はモンテビデオ、ウルグアイ。土曜日の朝7時。3人の若者が主人公です。
ウルグアイの週末のパターン通り、彼らも夜遊び後なのですが、そのまま家に帰る気にもなれずグダグダし、ビールをラッパ飲みしてくだらない冗談を言い合っているところから映画は始まり、彼らの土曜日の一日を追っています。

気を入れて勉強する気にもなれず、かと言って働くのも嫌、将来何をしたい訳でもないし、親もあり親の家に住んでるので何をしなくてもそれなりに不自由なく生きていける...。典型的な若者像ですねw。言うなれば「トレインスポッティング」ウルグアイ版です。

もう映画を見てると、「うわ〜〜、こんなグダグダなちきりん(Chiquilin, 若者)達、その辺にごろごろしてるわー」と親愛の情とちょっとの嫌悪感がまざって沸いて来ますし、 各場面で「あーあるある!」と言いたくなる超ウルグアイ的ディテールが満載です。歩道でうっかり犬のフンを踏んじゃったとか、週末の朝早くのテレビは牧畜番組で面白くないとか...。


しかしこの映画、なかなか外国人には難易度が高い。なんせ話されてる言葉が非常に口語なので、セリフの80%が教科書で習わないウルグアイ独特の表現で放されてます。また若者なので、もごもごと早口で話す上に使う言葉の50%が汚い言葉ですしw。でもウルグアイのスペイン語を練習したい方には、非常にためになる教材ですよ(そんな人居るのかな...)。



この映画のメッセージは何なのか、見る人によって解釈は別れるでしょうが個人的には、早く何者かにならないとね、という風に受け取りました。なぜかというと、この若者達、いい目には会ってないんですよね。お母さんは週末ビーチの家へ出かけちゃっておばあちゃんの世話を押し付けられたり、密かに恋してたイタリア語の先生には相手にされてなかったり、彼女に振られたり。

若者って、もう無条件に可愛がられる時期は終わり、その無力さ故にまともに扱われず、かといって自分で自由を勝ち取るほどの力もまだ無い。そんな不条理な時代を耐えてる人間の事をいうのかもしれません。頑張れ、君たちには未来がある。

5.26.2013

アサードのお作法

さて、週末のウルグアイでは珍しくも何ともない行為、アサードをしました。


ウルグアイではみんなでワイワイ何かをやろう!と言ったらまずアサードです。

アサードとはBBQ。ウルグアイにはこの形のBBQスペース(パリジェーロ)が大多数の家の中庭にあります。無くてもいいんですが、あると「いいなー」と言われます。夏のバカンスで借りる家にも大概ついてます。キャンプ場にもアサードスペースはあります。



アサードのお作法は、やっぱし「みんなでリラーックスして楽しく過ごすこと」でしょうか。
アサードしようぜ!と思い立ったら、みんなでノーンビリ買い物して、のーんびり灰が出来るのを待って、ノーンビリ肉が焼けるのを待って、焼けたらお喋りしてマテ飲みながらノーンビリ食べる。 てな感じで。


アサードの材料は:肉、ソーセージ等、お好みに合わせてパプリカや焼いてとろけるチーズなんかも(これ個人的に大好きです)。肉が焼けるのを待つ間につまむポテチ、チーズ、サラミ、ピーナッツ等々。肉と一緒に食べるパンも。あとデザート(アイスクリームが主流)。あとは火を起こす為の紙、薪。そして音楽。

買う肉の量は1人500gが相場と言われていますが、それに加えてソーセージやおつまみのも食べるので、だいたい余ります。余ると翌日のお昼ご飯です。でも肉1人500gって…。



 そしてサラダやおつまみの準備をしつつ、火を起こし始めます。
ウルグアイでは肉は灰からの熱で焼きます。これはアルゼンチンのアサードとは違うところです。上の写真のパリジェーロの端の部分で薪に火をつけ、その薪が燃えて灰になって 下に落ちて来たらザーッと肉を焼く網の下に移動させます。肉を置く前に、網の汚れをざっと落とす為に、肉の脂身を切り取ってそれで網をざざーっと拭きます。
肉を焼くポイントは、下に沢山灰を置かず(そうすると強火で外ばっかり焼けてしまいますので)、程よい熱でじりじりゆっくり中まで焼く事です。

その間は飲んだり、つまんだり、でのんびーり待ちます。



そうこうしてる間もアサドール(BBQをするひと)は大変。立ちっぱなしで火の加減を見て、灰を適度に移動させ、焼き具合を見て、等々します。このアサドールは一般的には男の仕事です。この一見簡単そうに見える作業、結構大変なんですよ。灰からの熱が結構すごくて、近くで作業したり、奥の肉を引っくり返そうと手を入れると、すごい熱いんです。


そして焼けて来た肉から順々に取り出し、まな板の上で切って、皿に載せて皆でつまむ、んですが、比較的こじんまりした集まりだと、みんなまな板から切れた側から手でつまんで食べちゃいます。それが一番簡単。


 肉も一通り焼けると、ようやくアサドールは一息ついて食べられます。
 そうするとみんなして「Un aplauso para el asador!!」(アサドールに拍手!!)と言って拍手して、労をねぎらいます。


そこからはノーンビリお喋りして食べて、お腹が膨れたらお茶とデザートを出して、またお喋りして…。そんなこんなで余裕で6時間くらい、あっという間に経ちます。なのでアサードは一日仕事。アサードの予定が入ったら、一日捧げる覚悟で臨みましょう。

5.22.2013

移民をポジティブに受け入れよう!!月間



"La Inmigración es positiva"(移民はいい事なんです)と直截的に銘打って、ウルグアイに入って来る移民をポジティブに受け入れよう!というキャンペーンが今週月曜日より1ヶ月間にわたって実施されます。伝達手段はラジオCMと街頭ポスターと、インターネット。


an-anが毎年正月に組む貯金とダイエット特集は、いつまでも日本人は貯蓄と痩身が達成されてない事の裏付けであるのと同様(個人的には、外国からの目線では日本人はもう貯金も十分してるし、痩せる必要はひとつもないと思いますが...)、キャンペーンがあると言う事は今この社会ではこれこそがまさに課題であるという事です。


どこの国にも移民受け入れには課題はあるのでしょうが、ウルグアイは多様性の殆ど無い社会であるため(殆どがスペイン系・イタリア系(若しくは欧州系)の移民の白人、奴隷として連れてこられた黒人の祖先がちょっとだけ、原住民はウルグアイ建国当初に白人によりほぼ皆殺しにされたため、ウルグアイには殆ど祖先が残っていません。) 、この多様性の受け入れがまず課題となっています。人種の違いはもちろんのこと、外国人であるが故のノンネイティブならではの話し方・アクセント、同じスペイン語でも違うアクセント、これらも差別につながります。外国人の移民と言えば、仕事を奪われると言うステレオタイプによる差別がまず考えられますが、その他にも子供が学校で差別をされる(生徒の間だけではなく先生からも)という問題も生じているとの事です。

これらの事を受けて、本キャンペーンでは、ウルグアイに来ている移民は、ウルグアイが好きで来てるウルグアイファンなんだから、多様性を尊重してポジティブに受け入れようよ!ウルグアイでは外国人にもウルグアイ人と同じ権利と義務があるんだから、差別はダメだよ!と周知するのが目的です。


現在ウルグアイの人口の約2.4%が外国からの移民であり、内訳は35%がアルゼンチン人、17%がブラジル人、10%がアメリカ人、7%がスペイン人、4.1%がペルー人、2.8%がパラグアイ人、2.7%がチリ人だそうです。

特にウルグアイは人口約350万人の小国、人口増加に伴う労働力の増加は同国の発展につながる歓迎すべきものと考えられ得ます。

また、70年代後半〜80年代前半の軍事独裁政権時代にウルグアイを去ったウルグアイ人も数多く存在し、彼らや彼らの子供達がウルグアイに戻って来る場合は、彼らも移民として考えられます。


ちなみに、ウルグアイの法律による移民の定義は 、

 Migrantes, son los extranjeros que ingresen a Uruguay con ánimo de residir y establecerse aquí, en forma permanente o temporaria.

「移民とは、ウルグアイに居住し定着する目的で入国する外国人で、永住、一時居住の形態がある。」とされています。 ので、ウルグアイに住む意気込みで来さえすれば、誰でも移民ということです。ははは。

で、ウルグアイの場合は、外国人にもウルグアイ人と同じように扱われる権利があると述べましたが、ほんとでした。(もちろん参政権などは別の要件が必要ですが)

Uruguay reconoce a los extranjeros migrantes:
la igualdad de derechos con los uruguayos, sin distinción alguna, por motivos de sexo, raza, color, idioma, religión o convicción, opinión política, origen nacional, étnico o social, nacionalidad, edad, situación económica, patrimonio, estado civil, nacimiento o cualquier otra condición
y el derecho a la migración y a la reunificación familiar.

「ウルグアイは外国人移民がウルグアイ人と同等の権利を有するとする。その性別、人種、肌の色、言語、宗教および信条、政治的意見、生まれた国、民族、社会、国籍、年齢、経済的状況、財産、法律上の身分(既婚か未婚か等)、出自、その他あらゆる条件においても区別されることはない。また移住の権利と家族の再結合の権利も認める。」

とあります。具体的には、los derechos de salud, trabajo, seguridad social, vivienda y educación. 「健康、労働、社会保障、住居、教育における同等の権利」が法で認められています。

とまあ、ウルグアイの法律、ちゃんと立派なんですよね。またそれを少しずつでも周知しようとする今回のような動きもありますし。

ウルグアイはヨーロッパの文化、特に教育や政治の部分ではフランスの影響を強く受けている(らしい、ウルグアイ人からの受け売りです)ので、明文化されたものが全て。何かと言うと法律を拠り所にします。ですので何かと言うと法律〇〇条によると...と言われたり、ホームページに説明書きがあったりして、ややこしい事この上ないのですが、単なる意識レベルの啓発だけではなく、国民が「ああ、こういう法律に基づいているのか」と自国の法律を知る事は、いい事だと思います。これって日本では、学校の社会科の授業以外ではあまりされてない事かなと思います。


ただまあ、同等の権利を有するからと言って、ウルグアイに外国人としてねじ込むのがラクかと言うとそれはまた別の問題。スタートラインが法律上は同じであるというだけで、そこからは持てる力のすべてを出して、ウルグアイ人および他の移民達と競争・共存しないといけないということで。とほほ。

5.21.2013

ウルグアイにおけるキスの効用

キスと書くとびっくりな感じですが、スペイン語ではベソ(beso)と言います。以下ベソで。



ベソと言うとまあそりゃピンからキリまであるわけですが、こっちでは一般的には挨拶でかわされる、頬にするものです。

正確に言うと頬にベソはしてないんですよね。ほっぺた同士をくっつけて、チュッと口で音を立てるんです。で、ウルグアイではベソは1回です。

と言ってもそれは人によりますかね、人によってはほんとにほっぺに唇を付けてチューをくれるのが習慣の人も居れば、相手と状況(すごく親しいとか、すごく親愛の情を示したいとか)という時に、そうする人も居たり。



そしてこのベソ、なんせ「こんにちは」に匹敵するような挨拶なので、するのが当然です。
ですので、1対1で会うときは「Hola!」と1回やればおしまいですが、まとまった人数の集まりの時はかなり面倒くさそうな光景が繰り広げられます。→その場に居る人、全員にするんです。なもんで、「Hola(チュッ)」 、「Hola(チュッ)」 、「Hola(チュッ)」...(以下人数分)。てな感じです。

男同士であってもします。挨拶ですんで。だからサッカーのウルグアイ代表もゴツい男性同士でチュッチュしてますよね。
でも男性同士のベソの習慣の無い国から(ラテン以外のヨーロッパ、北米やアジアも然り)ウルグアイに来た男性はこれに馴染むのはかなり大変そうです。頑なまでに握手を貫いてる人も少なくないですかね。

メールでも文面の最後は『Un beso』『Besos』とつけるし、電話ももちろん「ベソ〜」と口頭で言って切ります。SkypeやFacebookのビデオチャットとかでも、画面越しに投げキッスです。いやいや、なかなか徹底しています。



 さて、郷に入ったこちらの場合、まあ慣れてくるとそれなりに自然にできるようになるんですが、日本人の感覚では「『こんにちは』も言った事だし、なにもわざわざベソまで」な感が抜け切らずにたまにサボるのですが、そうするとウルグアイ人との間に認識のギャップが生まれる事が有ります。

前述の通り、ベソは挨拶なので、ベソで挨拶をしないとウルグアイ人にどういう風に受け取られるのかというと「うーん、感じ悪いとまでは行かないけど、シンパティカ(気さく・親しみ易い)じゃ無い子だな、とは思う。逆に言うと、ベソで挨拶しに来てくれると、あら、シンパティカな子じゃないって思う訳よ。あと、ベソ無しで挨拶されちゃうと、なんか距離を置きたいと思われるような事しちゃったかしらん?とか考えちゃうかな。」だそうで。このくらいベソでの挨拶は浸透してるわけですよ。

喧嘩をしてもベソで別れるのは大切。ウルグアイ人と喧嘩して、相当険悪な雰囲気になってあーもう帰るわと踵を返した途端に『ちょっとちょっと、ベソ。』と注意されて「あ、この雰囲気でもそーなんすか。」とベソした事も何度もあります。

別の子が職場の感じ悪い上司について「私らに朝会っても「Hola〜」って集団に投げキッス一つだけでさっさとオフィスに行っちゃうんだよね。」と語ってた事もあり、わざわざ近づいてベソして挨拶、というのは親愛の情を示すのに結構大切である、と言う事が伺えます。

もちろん、職場の仲間と言えど距離感や雰囲気は職場によっても様々でしょうし一概には言えませんし、パーティで全然知り合いじゃない人には紹介されない限りベソで挨拶を仕掛けないし、あまりに人数が多過ぎる場合や急いでる場合はその旨を言った上で(この言い訳が大切らしいですが)、投げキッスで挨拶を一度に済ませる事だってあります。

さらに明らかに外国人の場合は、文化の違いを考慮して多めに見ては貰えるんですが、とは言え、いつもそうしてもらえるとは限らず、うっかりベソを忘れて帰った日には、人によっては上記のような印象を持たれちゃう事もあるんですよね。



と言う事で、単なる習慣と片付けるには奥が深すぎるベソ、最近ようやく欠かさぬようにせねば、と実感出来てる次第です。

個人的には可愛い習慣だし、他人に対して親近感が沸くいい習慣だと思うんですよね。喧嘩をしててもほっぺをくっつけてベソした相手には、もうそれ以上怒る気も何となく沸かなくなりますし。

あ、その一方で、ベソで挨拶する機会を女子に触る絶好の機会と思って必要以上にねっちょりべっちょりで唾液が糸を引きそうなベソやハグをして来る輩も居るので注意。どこの世界にもこういう人はいるもんですね。