8.11.2012

ウルグアイ人、人口一人あたりの栄光

どーうしても、違和感を感じずにはいられないCMがあるんですよね。


それがこれ↓。ウルグアイの製糖会社Bella UniónのCM。


内容は、ウルグアイつーのは人口300万人余の小さい国なんですが、栄光に満ちた国であるというのを、人口1人当たりのW杯とコパアメリカの数で説明してるんですね。

だいたい言っている事はこういう感じです。
『ウルグアイは小さい国だけど、特別な国です。
人口1人あたりの栄光はすごいんです。
ブラジルがウルグアイの一人当たりのカップ数を同じだけ持とうとすると、247回W杯で優勝しないといけないし、880回コパアメリカで優勝しないといけない。アルゼンチンの場合は47回W杯優勝、コパアメリカ171回優勝が必要。ブラジルの場合は今から3002年までぜーんぶW杯で優勝しないといけない計算です。

ウルグアイは多くの優勝を勝ち取った事実よりも、我らがこの成功の一部であることに喜びを見出しています。ウルグアイ人の犠牲、才能、特に我らの仕事。この土地をさらに栄光に満ちたものにするエネルギーとなる誇り。 』

もしこんなCMを日本が作って「日本は○○な感じなんで我らは韓国や中国よりすごい国です!」とか作ったら、すごい問題になりそうなんですが、 まあその辺は南米的大らかさで何とも無し(というかまともに相手にするまでもない内容と言うか。)


このCMって、すごくウルグアイの国民性を説明しているなあとしみじみ感心するのですが、それは何かと言うと、ほんま過去の栄光が好き。 過去の栄光を見て現在の課題を直視しないと言っても過言ではないです。現状を改善する為には、自分たちのイケてないところを粛々と受け入れる事が必要なんですが、結局このCMのように、『我らは栄光に満ちた国のスバラシイ国民だし!』って考えにヒョイッと戻って思考停止。


あと、ウルグアイ国の現在の実力を冷静に把握したがらない。
人口が少なすぎてみんな家族のような親密感があるせいか、サッカーの実力がそのまんまウルグアイ国の実力のように宣伝されすぎてる嫌いがあります。それは2010年のW杯以降、顕著なようですが。いや、サッカー選手は頑張ったけど、庶民は違うから。フォルランやスアレスはすごいけど、あのひとたち天才だから。例外ですから。

日々の生活で、ここちょっと工夫したらいいのに、なんだかなあという事に遭遇して帰宅してこのCMを観ると、いや、現在のレベルで「俺らスゲエ」って満足せずに、もうちょっと頑張って生産性上げてもらわんと困るんですけど、と、もうガックリ来ます。


あと何かと言うと「小国だから」というエスケープゾーンに逃げ込む事。
経済が奮わないのも「人口が少ないから」、オリンピックでメダルが取れないのも「人口が少ないから」。日本が経済的に発展した事についても「人口が1億人以上もいりゃそりゃねー。俺らしょうがないよ、だってたった300万人だもん。」ですんで。

その裏返しで何かいいことがあると(2010年W杯4位とか)、「我らは小国なのにすごい!」と、実力を小国なぶん過大評価。あっそーすか…。



サッカーのカップ数にしたって、別にブラジルやアルゼンチンと比べんでも、その2国と比べて凄いからってそこで安心してめでたし、じゃなくってさ、ウルグアイ国としてどういう国を目指してるか、そこが肝心なんじゃないかなあと思うんですが。


ウルグアイはいい国ですよ。
未だに1960年代の映画でもセット無しでそのまんま撮れそうな、クラシックな風景を残している国で、ノスタルジーに満ちたいい国ではあります。ひとものんびりしてて、素朴な人が多いです。

でもそういう観光目線での素晴らしさと、マジこの国で生き残らないといけない生活者目線は別。言い方を変えると60年代から変化してないと言うことでは大変です。



ですがメディアではこのCMのようなトーンでウルグアイの素晴らしさを絶えず称えていますので、知らない間に世論と言うのは「我らはこれでよい」で落ちついているような危うさを感じます。

日本のように絶えず自虐的なのも辛いですし、ウルグアイ国民としての誇りを持つ事も大切。かといってあまりに現実とかけ離れた栄光の残照ばかりを追われても、明るい未来は勝ち取れないと思うのですが。


と、たかだか砂糖の宣伝で考えてしまいました。

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